AIRMAN 北越工業株式会社

HISTORY80年の歴史

1938

1938年(昭和13年)
当社の前身となる「株式会社地蔵堂鋳物工業所」が設立され、往復動コンプレッサ部品の製造を開始。(初代社長には氏田万三郎が就任)

1939

1939年(昭和14年)
社名を「北越工業株式会社」に改め、コンプレッサの完成製品HSDシリーズの生産を開始。コンプレッサメーカとしてスタートの年となった。(第二代社長に山崎彦一が就任)

1943

1943年(昭和18年)
冷却水が不要な空冷W型単動二段空気圧縮機:AWシリーズが旧日本陸海軍から注目を浴び、全生産の90%を占める注文が殺到する。(第三代社長に松岡公平が就任)

1944

特殊潜航艇「海龍」 全長17m、排水屯数20トン、乗員2名、45cmの魚雷二本を搭載可能。
実戦に投入される前に終戦となり、「幻の潜航艇」で終わった。
(現在は当時の姿のまま、呉市海軍歴史科学館「大和ミュージアム」にて実物が展示されている。)

1944年(昭和19年)
第二次世界大戦は困難の度を増し、軍用コンプレッサの生産に全力を挙げて対応。(第四代社長に田辺雅勇が就任)海軍は特殊潜航艇「海龍」の開発を計画、その開発者の一人が海軍特別研究所の佐藤五郎であり、高圧圧縮機の製造を北越工業に依頼してきた。これが縁で佐藤は北越工業の第五代社長に就任することになる。

特殊潜航艇「海龍」 全長17m、排水屯数20トン、乗員2名、45cmの魚雷二本を搭載可能。
実戦に投入される前に終戦となり、「幻の潜航艇」で終わった。
(現在は当時の姿のまま、呉市海軍歴史科学館「大和ミュージアム」にて実物が展示されている。)

昭和19年~22年頃のディーゼルエンジン駆動ポータブル(可搬式)コンプレッサ 軍用以外に国鉄はじめ官公庁に納入実績をもつ

1945

1945年(昭和20年) 終戦

1946

1946年(昭和21年)
田辺社長の意思「今後の平和産業として伸びるために優秀な技術、人材が必要」をもとに、元海軍特別研究所より佐藤五郎、石田政雄、佐山道雄ら数名が入社。この人材導入が戦後、北越工業を大きく発展させることになる。

1948

1948年(昭和23年)
戦後冷え込んでいた経営状況のなか、韓国政府より鉱山向け200馬力、300馬力横型空気圧縮機を受注。これが北越工業輸出第1号。(第5代社長に佐藤五郎が就任)

1950

1950年(昭和25年)
朝鮮戦争勃発。米極東空軍向けに200台余のコンプレッサを納入。アメリカ式クオリティ・コントロール(品質管理)で、徹底的な品質検査を受けたことは、北越工業の技術水準を大きく前進させた。

1952

1952年(昭和27年)
佐藤社長の発想により「エアマン(AIRMAN)」のブランドとマークが生まれた。このエアマンの愛称とともに、北越工業の技術開発力は世界に浸透していった。

米極東空軍に納入されたAM60

1954

1954年(昭和29年)
防衛庁の正式装備コンプレッサ選定のため、競合他社と100時間連続耐久運転テストを実施。北越工業のAM250は最後まで故障なく運転し、分解点検も異常なく終了し、正式採用された。

AM250 防衛庁施設大隊用自走式コンプレッサの正式装備機種として採用されたため、 「エアマン」はコンプレッサの代名詞として知れ渡った。

1955

1955年(昭和30年)
国産初のロータリコンプレッサAMR315が完成。東京・小河内ダムの建設現場に投入された。
当時の開発担当は白井敏雄(後の第七代社長)であり、小型で大きなパワーを生み出すロータリコンプレッサは新しい時代を担うコンプレッサとして注目された。

ダム工事現場で活躍

1965

1965年(昭和40年)
佐藤社長の「近代化計画」によって昭和35年から進められてきた工場建設は、40年に第4期工事が完了、200mのアセンブリラインを有する世界最大級のコンプレッサ工場が完成した。

1970

1970年(昭和45年)
スクリュコンプレッサにおいて、エアマン独自の技術によるスクリュ歯型「エアマンプロフィル」を開発。PDS750、PDS900、PDS1200など国産最大級のポータブルスクリュコンプレッサを発売。

1971

1971年(昭和46年)
性能、耐久性に優れるブラシレスタイプ発電機PDGシリーズを業界に先駆けて開発。その優位性により、わずかの間にトップメーカと肩を並べる。

1972

1972年(昭和47年)
コンプレッサ無負荷時の動力軽減装置「エアマンアンローダ」を開発。

1976

PDS1200 昭和45年発売 国内最大のポータブルスクリュコンプレッサ

1976年(昭和51年)
エアマンアンローダで機械振興協会賞を受賞。

PDG150 ブラシレスタイプ発電機

1980

1980年(昭和55年)
商品の多様化と将来の会社発展に備え、吉田町(現燕市)に吉田工場が完成・稼働開始。敷地24万平方メートル、工場建屋面積6,500平方メートル。

1981

1981年(昭和56年)
北越工業はミニバックホー分野に進出、HS08、12S、15S、20Sを発売。その2年後、1983年 昭和58年に完全自社開発となるHMシリーズを発売。

完全自社開発ミニバックホー HM20S

1990

1990年(平成2年)
吉田工場の第二期工事が竣工。鋳物、機械加工部門に加え、板金、塗装、組立部門が加わり、吉田工場は名実共にコンプレッサ・発電機の最新鋭工場となった。

1991

屋外設置型モータコンプレッサSMSシリーズ

1991年(平成3年)
日立建機株式会社と共同開発した新型ミニバックホー AXシリーズを発売。紫色の斬新なカラーリングで、オレンジ色が主流の建設機械業界に新風を巻き起こした。

日立建機株式会社との共同開発 AX30

1998

1998年(平成10年)
業界初となる屋外設置型モータコンプレッサSMSシリーズを発売。ポータブルで培った防水構造をモータタイプに応用したエアマン独自のコンプレッサ。専用のコンプレッサ室が不要で、屋内・屋外を問わず設置出来ることで好評を得た。

2000

2000年(平成12年)
東京証券取引所市場第二部に上場。
コンプレッサの自動発停方式が「発明協会会長奨励賞」「実施功績賞」を受賞。業界初のアフタークーラ仕様エンジンコンプレッサPDS-Cシリーズを発売。アフタークーラを搭載することで圧縮空気中に含まれる水分を低減し、利便性に優れたエアを供給することが可能。このアフタークーラ仕様の開発過程における価値向上の取組みが評価され、後の「マイルズ賞」受賞に結びつくこととなった。

2001

2001年(平成13年)
全米VE協会国際大会において、TCR(トータル・コスト・リダクション)活動の論文を発表。「全米VE協会会長賞」を受賞。
日本VE全国大会において「VE活動優秀賞」を受賞。

2005

2005年(平成17年)
社団法人 日本バリューエンジニアリング協会より「マイルズ賞」を受賞。VE(バリューエンジニアリング)を活用し 大きな成果を上げている団体に授与される名誉ある賞である。

2006

2006年(平成18年)
グループ会社のイーエヌシステムにて自社開発された高所作業車が発売され、お客様の要望を取り入れた機能で好評を得た。業界初となるオイルフェンス一体型エンジン発電機SDG-Fシリーズが発売された。環境負荷軽減のため、万一の漏水、漏油を防止する構造を他社に先駆けて開発。合わせて長時間連続運転が可能、常時監視が不要となり、お客様より好評を得た。

2010

2010年(平成22年)
オイルフェンス一体型エンジン発電機SDG-Fシリーズが国土交通省NETIS「新技術情報提供システム」の“評価情報”に登録され、工事入札時で優位にSDG-Fシリーズが選定されるようになる。

2012

2012年(平成24年)
「緑化優良工場等経済産業大臣賞」を受賞。工場の緑化を積極的に推進し、工場内外の環境整備に顕著な功績があった工場として評価された。

2013

2013年(平成25年)
新塗装工場竣工。完全自動制御で2系統に分岐して塗装し、最後に元の順番どおりに1系統に合流する、世界で類を見ない最新鋭の塗装ラインにより、飛躍的に塗装品質・防錆性が向上した。新型ASロータが開発され、コンプレッサ新シリーズへ搭載開始。スクリュ歯型の最適化と圧縮機本体の細部見直しによりクラス最大級の空気量を実現した。

2014

2014年(平成26年)
東京証券取引所市場第一部に指定。

2016

2016年(平成28年)
エイブルジェネレータ発電機シリーズを発売。ABLE(多才)の名のとおり、三相4線・単相3線 同時出力が可能で、1台で様々な電源に対応。また、特殊巻線を採用することで波形歪みの少ない良質な電気を供給可能(特許出願済み)。世界初となる屋外設置型 インバータ制御仕様 オイルフリースクリュコンプレッサ SMAD22VDを発売。屋外に設置できるため設置場所の制約は少なく、コンプレッサ排熱の処理も容易。